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自意識の強いブログ

たまに読んでください

哲学は役に立つのかまじめに考えてみた

以下は出来の悪い中二病者の書いた文章です。

部屋を明るくして、離れて読みましょう。

(*長いです)

 

 

 

「哲学って何の役に立つの?」これは茶化さずにはいられない問い。

 

「高みを目指せば出す拳の見つからねぇケンカもあるもんだ」

ワンピースってホントいい漫画だよね(これはもちろん茶化してないヨ)

 

でも今日はちょっとムキになってみたいんだ。カタルシスや!

ドゥルーズ=ガタリも言っていたではないか。

哲学の偉大さは何の役にも立たないという点にある、という答えはもはや若者さえ面白がらせない粋がりである、と。

 

西田『善の研究』の序文にある最後の一文が好きなので引用させてくださいね。

「思索などする奴は緑の野にあって枯草を食う動物の如しとメフィストに嘲らるるかも知らぬが、(中略)一たび禁断の果実を食った人間には、かかる苦悩のあるのも已むを得ぬことであろう。」

 

文化祭の準備つまんねえなあ...と思っていたら仕切りたがりの女子たちに「ちょっと!ちゃんと協力してよ!!」と怒られた経験のある人間なら誰しも思索から逃れることはできないのだ。

「ひとはただもう、哲学したくてたまらなかった。」

 

哲学にはこんなありきたりな馴れ初めがある訳ですから、哲学は浮世離れしてるなんて非難はバカヤローだっつってんです。バカヤロー!

(哲学を初めての情事と呼んだ人まであったのです…………オタクすぎる)

 

哲学が最も時流に敏感なミーハーオタクたちによって推し進められてきたことは、ファシズムの出来に西洋の暗い運命を予感した20世紀の思想家たちを見ればよくわかりますね?

 

そして哲学者はまた常に未来に対するまっことブラボーな炯眼を持っているもんです。

例えばオルテガ第二次世界大戦の始まる前にヨーロッパという単一共同体の必要性を訴え、晩年のフーコーマッキントッシュが世に出るか出ないかといううちから管理社会の到来に警鐘を鳴らしていたのでした。

 

誇張すると(!)、哲学者はあまりにもマイナーだったゆえに、いつだって長いものに巻かれ得なかったのです。

お父さんにいつまでもダダをこねることが許されるのはまさに哲学の特権であった。

 

だから哲学が人生ポエムみたいなつましい役割を与えられて本屋の窓際に並べられている光景は涙を誘わずにはいないのです。

(おい、お前だよお前。なーにが11歳の天才哲学者、学校にはちゃんと行きなさい!)

 

けど哲学って実際役に立ってなくない?

 

そう、哲学にできることは声を上げることだけ。これはソクラテスの時代からの決まり事でした。

哲学者が政治をする、あるいは控えめに皇帝が哲学をする。もしくはどこかのマルクス主義者のように万人-哲学者を夢見る...

かわいそうなマルクス・アウレリウス

 

しかしロバの耳を持った風変わりな人は哲学者の話に耳を傾けるのもよいでしょう。

 

ここまで読んでくれた人は「結局最初から最後まで茶化してんじゃねえか!!」って思っただろうな。でもそんなあなたにもロバの耳が…………

「怪物と闘う者は、その際自らが怪物と化さぬよう心せよ...」

 

「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらを見返しているのだ」

 

-おわり-